大好きなおばあちゃんの話を書こうと思う

だった。が正しいのかもしれないけれど

 

生まれてからずっと一緒に暮らしてたおばあちゃん

 

揚げ物料理と煮物とお花とお菓子と読書とミステリーが好きだったと思う。子供は男三兄弟だから揚げ物が得意だったんだろうな。

 

毎朝早起きして読書したり、花の手入れをしたり、畑に行って野菜を育ててた。おじいちゃんのお墓参りは必ず毎月行っていた。

 

朝ごはんを一緒に食べて、私は学校にいく。帰ってきたらおばあちゃんの部屋でテレビを見てお菓子をたらふく食べて過ごす。〜〜ちゃん、って。

 

話したり話さなかったり、寝たり寝なかったり、掘りごたつを囲んで、水戸黄門をみて火サスの再放送みて相棒みて韓ドラみて天才テレビくんがはじまったら料理しだす。両親は共働きだったけれど少しも寂しくなんてなかった。愛されていた幸せだった。

私が怒られて外に出された時は裏口からおばあちゃんの部屋に入れてくれた。眠れない時はおばあちゃんとねた。湯たんぽで足がポカポカした。

 

おばあちゃんが元気だった頃はお家のお庭には、お花がたくさんあった。パンジーアロエシクラメン、梅、れもん、色とりどりの、綺麗に整列とかはされてなかったけどとにかく大量の花や植物たちだった。おばあちゃんなりに大切にしていた。

 

とんかつとハンバーグがおいしかった。子供の頃のご馳走の上位ランク首位独走してるみたいな料理をよく作ってくれた、エビフライ、甘い卵焼き、あー毎朝出てた甘い卵焼きおいしかったな。大好きだ。

ジャンクフードやジュースをびっくりするぐらい好んでた。私が幼少期から太っているのも頷ける。

でもご飯の美味しさを教えてくれたのはおばあちゃんだった。お母さんのも好きだけどね。

 

夜はずっと読書をしてた。あとはお灸を私に貼らせてた。わるいおばあちゃんだったからワインを少し飲ましてくれたりした。お酒はあんまり飲んでたイメージはないけれど、ワインは飲んでたな。

 

もっと話せばよかった。私が京都から東京に着いた時に電話が来た。京都に行く前に思いの丈は全部伝えたけれど、苦しかった。パンパンにむくんだ手足、顔、涙が止まらなかった。病院にあんまり行かなくてごめんね。どうしたらいいかわからなかったんだ。行くと寂しくて辛くて、大変だった。病院関係で働いてるとね、死が身近になりがちで、病院に行くのが億劫になってしまった。

 

〜〜ちゃんってまた呼んで欲しい、いつか、大好きだって伝えたい。絶対に幸せになって欲しい。幸せだった?